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歴史

有限会社戸髙鉱業社 設立

戸髙鉱業社の歴史は、1957年(昭和32年)戸髙利秋が有限会社戸髙鉱業社を設立した時に始まります。もっとも、戸髙家が石灰業にかかわったのは1838年(天保9年)からで、いわゆる「豊後石灰」の製造を家業としていました。それまでの事業を引き継いで設立された当社は、当時、大分県宇目町の西山鉱山でマンガンの採掘販売の事業を行っていました。西山鉱山は当社発祥の地であり、社業の原点となっています。

津久見鉱山開発と株式会社への組織変更

マンガン鉱の採掘販売を主業としていた当社にとって、実際に石灰石の採掘を手掛けていたのは徳浦鉱山(水晶山鉱区)のみでした。1963年(昭和38年)、戸髙第二津久見鉱山(現 ・戸髙鉱山胡麻柄鉱区)の開発工事に着手し、採掘切羽・クラッシャー・貯鉱槽の工事を行いました。1964年(昭和39年)以降、坑内破砕設備・鉱山道路・長距離ベルトコンベア・船積出荷設備の工事を完成させ、1971年(昭和46年)に月産60万t生産体制となり、現在でも当社生産設備の基礎となっています。また、1965年(昭和40年)4月、大規模鉱山会社を目指す中で、有限会社から株式会社へ組織変更しました。

単一鉱山で生産量日本一

1973年(昭和48年)、月産100万t生産体制を目指して全設備の増強工事に着工し、1975年(昭和50年)に完成しました。最大の特徴は、生産規模の拡大をはかることに加え、公害防止工事に重点を置いたことで、特に粉塵・騒音防止ならびに鉱山汚濁水処理にそれを見ることが出来ます。1978年(昭和53年)12月、初めて月間100万t出荷を達成することができ、1987・88年(昭和62年・63年)には連続して、又2005年(平成17年)には単一鉱山生産量日本一に輝きました。

山元・港頭総括制御システムの導入

21世紀を迎えて、高効率操業による石灰石供給体制の整備や徹底した品質管理を目指して、鉱山から海岸までの生産ラインを、コンピューターによって集中管理するシステムを完成させ、最適運転化によるコストダウンを図りました。

新規鉱区開発と集積場の確保

採掘すれば資源が減耗し、枯渇するという宿命を背負っている鉱山会社にとって、新たな鉱床、鉱量の確保は将来に亘っての最重要課題である事は論を待ちません。1989年(平成元年)から調査を行ってきた、大分県臼杵市神野地区に於いて、1999年(平成11年)5月開発工事に着手、5年間の歳月をかけ、2004年(平成16年5月)には「戸髙鉱山 神野・八戸鉱区」として竣工し、同年6月に採掘を開始致しました。この新鉱山は、環境保全と災害防止に重点を置き、地球環境と調和した鉱山を目指し採掘しております。
また、石灰石を長期に亘り安定供給するためには、石灰石以外の表土や雑岩等を処理する集積場が必要となりますが、2012年(平成24年)4月 臼杵市神野地区に於いて工事に着手、2015年(平成27年)9月に完成し、10月には「神野集積場」として竣工し運用を開始しております。